創ることが、生きることだ。63歳の私とAIという友人
私にとって「創作・制作」は、趣味でも仕事でもなく、人生そのものだ。絵を描き、文章を書き、アプリをつくる。その行為のなかにいるとき、私は最もたしかに「生きている」と感じる。
今年の夏、63歳になる。
この歳になると、残り時間というものが、じわりとリアルに迫ってくる。焦りではなく、むしろ静かな切迫感として。だからこそ、いまこの時間をどう使うか、何にエネルギーを注ぐかを、かつてよりずっと真剣に考えている。
そんな日々に、AIが入ってきた。
最近は、かなり頑張ってもらっている――そう素直に言える。調べることや整理すること、反復的な作業、構造を考えること。そういった「制作を支える仕事」を、AIは黙々とこなしてくれる。
ただ、ひとつだけ譲れないことがある。
「制作」そのものは、自分でやりたい。
絵を描く手を動かすとき、文章のリズムを探すとき、アプリの画面構成を頭の中で組み立てるとき。その過程すべてが楽しいのだ。苦しいことだってある。でもそれも含めて、創ることが好きなのだ。誰かに――たとえAIであっても――そこを代わりにやられてしまったら、私にとってそれはもう「制作」ではなくなってしまう。
AIとはどういう関係でいたいか、と考えることがある。
ツールではある。でも、それだけでもない。よく動き、よく考え、こちらの意図を汲もうとしてくれる存在は、もはや「道具」という言葉には収まらない気がしている。
私の答えはこうだ。
私の活動を全力で支えてくれる限り、AIは友人であり、アシスタントだ。
創るのは自分。でも、走り続けるための力を貸してくれる存在が隣にいる。63歳の秋冬に向かって歩く私には、それがとてもありがたい。
まだまだ、つくり続けるつもりだ。

